大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和45年(ワ)9200号 判決 1979年2月13日

原告 松島七郎

右訴訟代理人弁護士 上条貞夫

同 宮里邦雄

右上条貞夫訴訟復代理人弁護士 今村征司

同 秋山信彦

被告 鹿島建設株式会社

右代表者代表取締役 渥美健夫

右訴訟代理人弁護士 牧野賢弥

右訴訟復代理人弁護士 松本廸男

主文

一  被告は、原告に対し金一、二三〇万七、七五一円及びこれに対する昭和四五年八月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告の、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実

第一申立

(原告)

一  被告は、原告に対して金四、二五七万〇、三二六円及びこれに対する昭和四五年八月二日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言

(被告)

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

との判決。

第二主張

(原告)

「請求原因」

一  事故の発生

昭和四五年二月一二日午後二時三〇分頃、東京都江東区東陽町六丁目三番二号所在の被告会社建築部工作所内において原告が作業中、被告会社従業員大芦倉次運転のフォークリフト(車体番号五〇二二九五、以下「被告車」という)が後退して来て原告の背後に衝突し、よって原告は後記傷害を負った。

二  責任

被告会社は、被告車の保有者として自賠法三条により本件事故による原告の損害を賠償する責任がある。

三  傷害等の程度

本件事故により原告は背腰部挫傷、頸椎捻挫の傷害を受け、入・通院加療を続けたのであるが、頭痛、頸部痛、腰痛さらには視力障害、聴力障害、右上下肢脱力の症状が持続し、結局後遺症として、頭痛、背部痛、腰部痛、右視力低下、耳鳴、左側難聴、右半身運動麻痺並びに全知覚鈍麻等による歩行並びに坐位、起立困難等(障害等級二級相当)が残ることになり、そのため事故後現在まではもちろん、将来にわたってもまったく稼働できない状態にある。

なお原告の入・通院状況は次のとおりである。

入院状況

45・2・12~45・6・4 立川病院

45・6・4~46・5・14 代々木病院

46・5・14~46・8・25 奥鹿教湯温泉病院

46・8・25~46・11・1 石和リハビリテーション病院

46・11・29~47・2・9 東京労災病院

48・1・26~50・3・31 千葉大学医学部附属病院

50・3・31~51・5・12 清水脳神経外科

(以上事故後昭和五二年五月まで六二ヶ月)

通院状況

47・2・10~47・11・20 国府台病院

(以上九ヶ月)

四 損害

(一)  治療費関係

入院等の実費は、労災補償によって填補されたが、次のごとき費用の負担を要した。

(1) 移送費、通院費 三一八万二、一七〇円

各病院への入院及び自宅から国府台病院への通院には原告の症状に鑑み、タクシーを利用せざるを得なかった。これに加え入・通院中医師の指示により適宜日光浴、歩行訓練のため家族の付添のためタクシーで外出した。そのタクシー代はタクシー会社から市川市福祉事務所に明細が提出され、これを受けて原告に対する生活保護法一五条により、同事務所からタクシー会社に代金相当額が支払われた。

これら治療、療養のための交通費、移送費が本件事故による損害に含まれることは当然で、被告から賠償を受ければ、生活保護法六三条により原告は返還を請求されることになる。

(2) 入院雑費 五五万八、〇〇〇円

一日当り三〇〇円相当とみて六二ヶ月分

(二)  休業補償、逸失利益関係 二、一二一万〇、一二七円

昭和四五年二月一二日以降原告は労災補償により給与の六割について支給を受けている。その分を控除した原告の休業に伴う損害は次のとおりである。

(1) 休業損害 一三〇万〇、七八〇円

事故当時原告は、五万〇、〇三一円の給与を得ていた。昭和四五年二月一二日から同五〇年七月一一日までの間、その四割について填補を受けていないとみて、合計右金額となる。

(2) 逸失利益 一、九九〇万九、三四七円

昭和五〇年七月以降においても後遺症のためまったく稼働できない。この当時原告は五一歳で、賃金センサスによれば月平均一五万三、八〇〇円の給与を得ることができたはずである。就労可能年数を一六年とみてこの間の収入をホフマン方式により中間利息を控除して現価に引直すと二、一二九万〇、八四一円となる。

しかるに昭和五二年五月まで休業補償給付六九万〇、四一四円、特別支給金六九万一、〇八〇円の支給を受けたのでこれを差引くと一、九九〇万九、三四七円となる。

(三)  慰藉料 一、三七五万円

入・通院関係分六六五万円、前記後遺症関係七一〇万円

(四)  弁護士費用 三八七万〇、〇二九円

損害額の一割に相当する額が弁護士費用として蒙った損害とみるのが相当である。

五 そこで治療費関係については昭和五二年五月一一日現在分であることを前提として原告は被告に対し右合計四二五七万〇、三二六円及びこれに対する本件事故後である昭和四五年八月二日以降支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める次第である。

「因果関係の存在」

本件事故前原告が健康体であったことは被告も争わないところであり、そして事故後原告は一貫して頭痛、頸部痛、腰痛、聴力及び視力の障害を訴えており、従って本件事故がなければ前記のごとき長期に亘る入・通院治療を要しなかったこと、すなわち本件事故と原告の症状との間に条件的因果関係が存することは被告も争うことができないところである。

そして原告が治療を受けた各病院の担当医師は右症状が本件事故による傷害に起因するものであることを認めている。さらに千葉大学医学部附属病院医師小野幸雄は、原告の症状について鑑定し、長期に亘る検査の結果「外傷という原因があって現在悩んでいる後遺状態という結果が残存し持続している事を率直に認め、その原因と結果との間に存在するすべてを解明し尽すことはできないとしても医学的に諸般の事実を総合、分析した結果両者の間に因果関係が明らかに存在する」との結論に達しているのである。

これら事実からすると原告の現在の症状と本件事故との間には相当因果関係もあるというべきで、原告の現症状が本件事故と関係なく存在するとの特段の事情が証明されない限り、否定さるべきいわれはない。

二 被告は、原告の現症状が、原告固有の性格から引き起されたものとし、その根拠を挙げている。しかし、その根拠たるや膨大な資料(主としてカルテ)のなかから片言半句を引き出したというものに過ぎず根拠とはなり得ないものである。

なお原告は事故後昭和四五年八月頃と同四八年八月に普通自動車運転免許証の更新を受けている。昭和四五年八月頃の免許更新については、後遺症による記憶喪失のためその具体的状況は判然としない。仮に誰かに付添われて更新のため警察署に出頭したとしても、当時代々木病院に入院していたが歩けなかったわけではなかったのでそのようなことはあり得た。しかしその後悪化の一途をたどったことは前記のとおりである。

そして昭和四八年八月の更新については、千葉大学附属病院に入院中で、正規の更新手続はできない状態であった。そこで所轄の市川警察署に、原告の知人川俣英男の知り合いの担当警察官がいたことから、右川俣英男に依頼して担当官に懇請して形だけの更新をしたものである。

原告としては、将来自動車の運転をすることは到底不可能なことは承知していたが、万が一にでもと社会復帰への気持の支えを求める思いから、担当官に自己の立場を説明して貰い、「形だけの更新で実際には決して運転しない」との厳重な条件のもとに右のとおり更新をして貰ったものである。

最初に取得する場合とは異なり、更新の場合は従来から視力検査程度の適性検査しかしておらず、そのため原告が出頭しないまま事実上更新を認めて貰ったのである。「過失相殺の抗弁に対する答弁」

本件事故は、被告車の運転手たる大芦倉次の一方的過失によるものであって、原告には何らの過失はない。

すなわち大芦倉次は大型特殊車の運転免許を有せず、従って被告車を運転する資格を持たなかったのに被告車を運転したもので、そして被告車を後退させつつ向きを変える際、バックミラーで右後方を確認することを怠ったため本件事故を生じさせたものである。

原告が作業をしていた作業場は、構内道路とは黄色のペンキ線で区切られた内側で、通路より若干高くなっており、黄色線との間には斜めに鉄板が渡してあった。原告はこの黄色について特に説明を受けていなかったが、その表示から道路との区切りと考え、これからはみ出して作業をするようなことはしなかった。事故当時原告は背を通路に向け、右鉄板の上に尻が出るような状態で鉄材の切断作業をしていたが、原告の身体のどの部分も黄色線を超えて構内通路に出ていなかったものである。

以上の次第で、被告の過失相殺の主張はまったく失当である。

(被告)

「請求原因に対する答弁」

請求原因一、二項は認める。

同三項中、原告が頸椎捻挫の傷害を負ったことは不知、原告の当初の入院はともかくその後の入・通院及び現在の症状が本件事故と因果関係があることは否認する。仮に因果関係があるとしても障害等級二級の症状であることは否認する。

同四項の損害額はすべて争う。すなわち原告主張のごとき多額の移送費、通院費が加療上必要であったかは疑問であり、また現在五一歳の肉体労働者が今後一六年間就労することはあり得ず、この点でも原告の主張は失当である。

同五項も争う。特に昭和四五年八月二日後の出費について同日から遅延損害金の支払を求めるのは失当である。

「因果関係不存在等の主張」

一  本件事故後原告は直ちに立川病院で診断を受けたが、レントゲン検査をしても異常はなく、全治二、三日程度の怪我ということであった。ただ原告の自宅が遠く通院に不便なため一応入院することにしたものである。入院中原告は被告会社の関係者が見舞いに行くと床に入り、痛みなどを強調するが、そうでない時は平常に振舞えた様子で、医師も原告から一方的に自覚症状を訴えられるだけで困っていた模様である。

そこで被告会社関係者らは原告に対して関東労災病院等然るべき病院に転医して精密な診断をして貰うようすすめたのであるが、原告はこれを聞き入れず、そして被告会社に事前に連絡することなく昭和四五年六月頃代々木病院に転医してしまったのである。この転医当時の原告の症状は、頭痛、頸部痛、腰痛の愁訴はあったが、これに見合う異常所見はなく、いわゆる鞭打ち損傷程度のものであった。

そして転医の際代々木病院には独歩で入院し、入院中、一、二時間の歩行は可能で散歩もしており、機能訓練を中心として社会復帰の訓練も受け、日常生活に耐え得る状態に近づきつつあった。

そうすると原告のその後の症状がその訴えるとおりだとするなら原告の症状は当初は軽く、代々木病院に入院してから若干重くなり、以後治療を続けるに従って重くなっていったことになる。

のみならず原告は事故後の昭和四五年八月頃、及び昭和四八年八月頃に運転免許を更新している。更新の際には当然道路交通法一〇一条による適性検査を受けたはずで、その当時自動車運転に差しつかえない程度の症状であったことは明白である。従って右代々木病院入院当時原告の症状が軽度の鞭打ち症程度であったことは明らかである。

なお、原告は昭和四八年八月の免許更新は自ら出頭することなく更新を認めて貰ったものであると主張する。しかし市川警察署への調査嘱託に対する回答から明らかなようにそのようなことはあり得ないところであり、さらに当時原告は千葉大学医学部附属病院に入院していたのであるが、同病院のカルテによれば八月一〇日から一八日まで外泊しており、その間に原告本人が出頭して免許の更新を受けたと思われるのである。

右二回にわたる免許の更新の事実からすると、原告の症状は詐病ではないかとの疑いが濃いが、仮に詐病でないとしても、原告固有の性格から二次的に引起こされた神経症状で、本件事故とは相当因果関係の範囲外のことである。原告の現症状が原告固有の精神的、肉体的諸条件に基づき二次的に引起された神経症状であることは、原告の入院した病院のカルテに「神経症的な印象も多くある」とかロールシャッハテストの診断結果が記載されていること、さらには医師小野幸雄の鑑定結果を検討しても窺えるところである。

すなわち同鑑定は、本件事故と原告の現症状との間に因果関係があり、且つその症状は後遺障害二級に該当すると結論づけているが、それは原告に医学的諸検査による異常所見はないとしながら、専ら原告本人の訴えに基づいて現在の症状を診断し、そして五年以前の本件事故と簡単に結びつけて因果関係を肯定しており、鑑定の前提となる現病歴の診断、考察と鑑定の結果との間に幾多の疑問、矛盾があって到底このまま採用できるものではない。

のみならず右のとおり因果関係を肯定しながら右鑑定は原告の現症状が、本人の神経症的な未熟な性格に加えて本件の頭部打撲という事件が契機となり、ひとつの心因となって諸般の事情と相重って精神的変調をきたしたことを認めており、原告の現症状が原告の生来の精神的、肉体的条件による二次的なものであることを承認しているのである。

以上の次第で原告の現症状は本件事故と相当因果関係はないと断ぜざるを得ないが、仮にこれを肯定するとしても、右のとおり症状の大半が原告の精神的、肉体的諸条件に帰せられるべきものであるから、被告が原告の現症状につき全責任を負うべきいわれはなく、本人の生来の諸条件による損害であるから、過失相殺の規定を適用、準用して被告の責任は僅少にとどむべきである。

付言すれば前記のとおり医師小野幸雄は原告の現症状を障害二級と認定する一方、本人の努力次第で改善の余地があることを認めているのである。

「過失相殺の抗弁」

本来構内通路での作業は中止されているにもかかわらず、事故前原告は停止中の被告車の後方僅か七〇センチへだてた構内通路に出て来て作業を始めようとしたのである。他方被告車は原告が出て来たことをまったく予想しないまま後退して事故に至ったものである。

右の次第で本件事故は、原告自身の重大な過失も原因となっているので、この点考慮さるべきである。

第三証拠関係《省略》

理由

一  請求原因一、二項は当事者間に争いがなく、よって被告は自賠法三条により本件事故による原告の損害を賠償すべき責任がある。しかるところ、被告は過失相殺の抗弁を主張し、また原告の現症状の程度、本件事故との因果関係も争いとなっている。

そこでまずこれらの判断の前提ともなる本件事故の態様について検討するに、《証拠省略》によれば、

(一)  本件事故は、被告会社の下請会社の従業員たる原告が、被告会社建築部工作所内で稼働中、後退して来た被告車に衝突されたものであるが、被告車は、全長五・一八メートル(但し標準フォーク一・三メートル付の場合)車幅一・八五メートル、車高二・七二メートル、自重八・六トンの大型フォーク車で、走行速度は前進が毎時二四キロ、後退が毎時二二キロまでであること。

事故現場は、東西に走るコンクレート舗装された幅員五・八メートルの構内道路で、その南側は約二〇センチ位高くなった完成品置場で、そこには事故当時フォーク車、物品等が置いてあったこと。そしてこの構内道路の南端から八〇センチ位のところに幅約一〇センチの黄色線が引かれ、車輛等の通路と作業等が可能な地帯が分けられており、そして完成品置場の端から右黄色線付近まで鉄板が斜めにかけてあったこと。

事故当時原告は右斜めにかけられた鉄板上で南を向き北方の道路側に背を向けた状態でしゃがんでガス切断の作業をしていたところ、この作業を始めてから五分位した時に被告車が東側から後退して来て原告の右腰部に衝突したこと。

(二)  他方被告会社の機電工たる大芦倉次は同僚の中埜哲雄を乗せ被告車を運転して西方から進行してきて事故地点のすぐ東側の通路南端に被害車を停車させ、そして中埜哲雄と協力して三〇キロ位の荷物を積み込み、再び被告車に乗り込んで後退を始めた直後、被告車右後部が原告に衝突したこと。

この間一分足らずのことであるが、両名とも事故地点付近に原告がいることにまったく気付かず、そして後退に際し中埜哲雄は後方を確認せず、大芦倉次は高さ二メートル位の運転席から後を振り返っただけで後方に危険はないと速断して後退を開始したのであるが、サイドミラーで確認しておれば原告の存在に気付き得たこと。

(三)  右のとおり原告の極く直近に大型の被告車が停止したのに互いに相手の存在にまったく気付かなかったわけであるが、それは原告は通路に背を向けて音の出る作業に従事していたからであり、他方被告車の方は、原告が一瞬物品等の後に隠れた時に到着したからではないかと推測されること。

(四)  被告車に衝突されて原告は完成品置場の方へ倒れ、すぐかがみ込み腰の痛みを訴えたので、直ちに立川病院に運ばれたところ、背部挫傷、頸椎捻挫の傷害との診断を受けたこと。

当初関係者は、原告の負傷は極く軽微なものと考えていたので、原告が労災保険金の給付が受けられるよう手続は採ったが、警察に事故の届出をしなかったところ、事故後二一日を経た三月五日になって原告の妻において被告会社らにおいて補償につき誠意がないとして届出をなし、警察は捜査を始めたこと。

かかる事情のため三月七日になって警察官による実況見分がなされたのであるが、被告車の運転手たる大芦倉次、同乗者たる中埜哲雄、及び近くで偶々事故を目撃した飯村武男とも、被告車は時速二、三キロの低速で後退を始め、約一・二メートル後退した時に右後車輪が原告の背部に衝突し、原告は一・二メートルほど右方に押され、他方被告車は直ちに停止した旨事故状況を指示説明していること。

の各事実が認められる。

右事実からすると被告車の運転手たる大芦倉次に不運な点もあったとはいえ、同乗者もいて後方を確認する機会も方法もあったのに同人は後方を充分確認することなく大型車たる被告車を安易に後退させたのであり、その過失は少なくないところである。

もっとも《証拠省略》によれば、構内道路の通路上で作業することは危険なので禁じられていたことが窺われ、そして右認定事実からすると原告の背部が若干通路に出ていたのではないかとも思われるのであるが、右大芦倉次の過失と対比し、また原告において通路に飛び出したわけではないことなど本件事故の態様を勘案すると、原告の右のごとき所為をもって過失相殺として斟酌すべきとは認め難い。従ってこの点の被告の抗弁は認めることはできないところである。

二  右のとおり事故後かなりの日数を経てから原告の立会のないまま本件事故の実況見分がなされているので、事故状況についての大芦倉次らの指示説明はそのまま措信できない点があるにしても、衝突の態様等に鑑み、被告車が極く低速で後退を開始した直後に衝突が生じたことは疑いのないところであり、また原告は転倒したものの頭部を打った様子はなく、そしてすぐしゃがみ込んで腰の痛みを訴えたのであるから、関係者らが原告の負傷は極く軽微だと判断したのはやむを得ないところであった。

のみならず《証拠省略》によれば、前記のとおり事故後原告は立川病院に運ばれたのであるが、同病院で検査したところ、レントゲン検査上骨に異常はなく、担当医師は入院の必要はないのではないかとも判断したのであるが、原告がしきりに腰部の痛みを訴えるので入院させることとし、一ヶ月の安静加療を要すとの診断をしたことが認められるのである。

三  しかしその後原告は種々の身体上の異常を訴えるようになり、その治療のため長期にわたって入・通院を重ねたが、回復の様子がないばかりかその訴えはより深刻化していったのである。すなわち《証拠省略》によれば、事故後原告は請求原因三項で主張しているとおり入・通院したほか、昭和四六年一〇月には墨東病院に、同年一一月には東京労災病院に数回通院しており、さらに昭和五一年一二月以降にあっては千葉県市原市所在の奥田外科医院に入院していること、そしてこの間労災保険金の給付はあるものの右のごとき状態で原告が稼働できないところから、昭和四六年二月以降原告ら一家は生活保護を受けていることが認められるのである。

この間の原告の訴えの内容、治療経過は、右各証拠によれば大略次のとおりである。

すなわち前記のとおり立川病院入院当初は腰部の痛みを訴えるだけであったが、事故後約一ヶ月を経た三月中頃から腰部の硬直、さらには足の震えを訴えて跛行するようになったところ、原告の担当医は正常値内ではあるが脳波に少し異常があるほかは特に他覚的異常もないのに原告の症状が悪化することから補償ノイローゼではないかと考え、原告に歩くことを勧めたのであるが、右のごとき原告の症状に変りはなかったところ、原告において転医を希望し、同年六月に代々木病院に移ったこと、同病院においても当初は主に頸部痛、腰痛を訴えていたが、そのうち右上下の震え、知覚異常、背部の重圧感、物忘れ、さらに視力、聴力の障害を訴えるようになり、翌昭和四六年になるや疼痛がひどくなったと訴えるようになり、当初独歩にて入院したにもかかわらず歩行にも障害が生じるようになったこと、かかる原告の症状を反映して担当医師の診断書も昭和四五年一一月一三日の時点では「頸椎症、腰痛症の疾患にて入院中で、両耳感音性難聴を認め補聴器の使用を要する」とのことであったが、翌昭和四六年三月一八日の時点では同一病名のもとに「頭痛、頸部痛、腰痛、視力障害、聴力障害、右上下肢脱力の症状が持続しており、これら後遺症で軽快は基本的に不可能で、労災保険七級四号に該当」との内容になったが、この担当医も原告に視力、聴力及び脳波に異常は認められるものの、レントゲン写真、筋電図等において異常はないので、結局原告の回復は機能訓練によって社会復帰するより他はないと考え、原告にその旨勧め、その結果原告はリハビリテーション施設のある病院に移ったのであるが、まだ治療の必要があるとのことで再び東京労災病院等で前記のとおり入院治療を受けるようになったが、この頃には右側片麻痛、知覚鈍麻のため車椅子を必要とするようになったこと、そして昭和五〇年三月二五日現在において千葉大学附属病院医師小野幸雄は、原告のかかる症状は障害等級二級に相当する旨鑑定している、という経緯にある。

しかるにその後原告の訴えはさらに悪化し事故後六年余を経た昭和五一年六月二二日の本人尋問(第二回)の時点においては、腰に鈍痛があり、起きると板を背負ったようになり何かに寄りかかっておれば二、三時間は起きていられるが、そうでないと二〇分位で疲労してしまい、歩行もステッキをつき妻に介助して貰わないとできず、天候が不順だとこめかみが絞られるような感じになり、これに加え聴力、視力も悪化して補聴器をかけており、新聞は読めず、テレビも画面に二、三人映ると識別できない状態で、昼間でも横になることが多く、調子の良い時には車椅子を押して歩行訓練をしている旨供述する。

四  以上要するに原告は強い衝撃や頭部を打撲した様子はなく、そして当初主に腰部痛を訴えていただけであり、そして他覚的な異常も認められないにもかかわらず、頭部痛等を訴えるようになり、長期の入院治療にもかかわらずこれら疼痛、症状は悪化するばかりか運動麻痺も加わって歩行等の障害も生じ、その点も除々に悪化しているとのことである。

そして前記鑑定嘱託の結果は、本件事故についての原告の説明をもとに、原告が意識障害を伴う頭頸部、腰部打撲を受けたことを前提としたうえ、原因を確認することは困難であるが、右のごとき原告の症状の存在を肯定して、それは本件事故の後遺状態といわざるを得ないと結論づけている。

すなわち右鑑定を担当した医師小野幸雄は、昭和四七年七月末以降同五〇年初め頃まで原告を診察し且つこの間随時施行したレントゲン、脳波、反射等の諸々の生理学的検査あるいは眼科、耳鼻科上の検査等の各結果、心理テストの結果及び過去原告が治療を受けた各病院のカルテ等を参照したうえ、原告に視力、聴力の低下は認められるが、それらと外傷との関係は不明であり、その余の症状についてもこれに見合うべき客観的異常所見は得られず、また原告の訴えからすると原告に脳障害、脊髄レベルでの障害があるとも認め難く、その余の局所障害の存在も疑問であるとしている。

なお脳障害等が認め難い理由として同医師は以下のごとく診断、考察している。原告の主な症候は右側背部痛、腰痛及び頭痛、頭重並びに右側半身の不完全麻痺、全知覚鈍麻である、ところで運動神経線維、触覚並びに深部知覚神経線維は延髄でその大半が交叉し、他方温痛覚にかかる知覚線維はそれぞれ該当する各髄節にて交叉するという解剖学的神経線維の交叉状況からすると、脊髄レベルに障害があれば、解離の知覚障害となり、また運動麻痺と温痛覚障害が同一側に生じることはないはずである。しかるに原告には右のとおり運動麻痺と全知覚障害が同一半側に存在するのであるから頸髄を含め脊髄レベルの障害は考えられないことになる。そうすると大脳半球から脳幹の間に障害が存することになるが、脳神経障害を随伴していないのでこの点も除かれ、結局左側大脳半球内の障害の可能性のみが残る。しかし外傷性頭蓋内血腫、慢性硬膜下血腫等は原告の述べる意識の喪失、混濁の程度、あるいは脳波検査において左右等の異常がなく、脳血管撮影に何らの異常を認めないことから考え難いとしている。

さらに付言して同医師は、原告のごとく半側の症候を有するもので、深部反射に左右差或は亢進ないし減弱のみられないことは非常に奇妙なことであるとか、別個の局所障害であるとしても、そのような障害が脊髄レベルに他覚的所見を認めずにかくも長年月持続することは医学的にみても、人体の神秘な順応性から考えても理解に苦しむところであるとしている。

以上のごとき診断をしたうえ、同医師は次のごとく述べて本件事故と原告の症状との因果関係を肯定する。すなわち「(そうすると)何故に過去四年以上にわたってこのような症状が持続しているのか、その原因を確認することは困難であるが、(―――)資料にもとずいて言及するならば、(原告)の神経症的な、また未熟な性格傾向に加えて、頭腰部打撲という事件が一つの契機となり、一つの心因となり、それに加えてこれまでの諸経過中の様な事情が加重し、精神的変調を来たしたものと考えられ、現在の症状はその結果による後遺状態というのが当を得ている。(原告)の現在の状態を医学的に説明困難ということのみで、単に神経症であるとか、神経衰弱状態であるといい切ることはしたくない。外傷という原因があって、(原告)が現在悩んでいる後遺状態という結果が残存し、持続していることが重大な事実なのである。この原因と結果の間に存在するすべては、とてもおしはかることの出来ない人間の理解を超えたものといえよう」というものである。

そうすると右鑑定嘱託の結果は、要するに原告に障害等級二級に相当する右半身運動麻痺並びに全知覚鈍麻等による歩行並びに挫位、起立困難等その他の重大な障害が存することを前提とし、そしてこれら症状に見合うべき他覚的所見はなく、結局本件事故が心因の契機となり、さらに神経症的加重によりかくのごとき症状に至ったとみられるが、そうだとすると右障害は本件事故の後遺状態とみるのが相当であるというにある。

五  そうだとすると右鑑定嘱託の結果を尊重するとしても原告の症状は神経症的加重によるというのであるから、その障害による損害をすべて本件事故によって生じたものとして被告に賠償責任を負わせるについては検討の余地のあるところである。のみならずこれに加え原告の現症状につき誇張された点があり、また本件事故の後遺状態とは認め難い次のごとき事情が存する。

すなわち前記鑑定嘱託の結果によれば、原告には筋萎縮、線維束性れん縮並びに不随意運動はなく、さらに心理テストによれば原告は、神経症的傾向を有し、物事を気にして悩むたちであり、これに加え統合能力、環境から刺激を十分にとり入れて前向きの姿勢で向うということなどが不得手なため依存的態度になってしまうことが多く、従って本件事故及びその後の治療過程においても身体的苦痛を過大に考え、いつまでもその考えから抜けきれず、自ら積極的に病気に打ち克とうとする気力に乏しく、他人に依存している状態であり、また神経学的所見と原告の訴えの内容との開きは大きいとのことであること、《証拠省略》によれば、原告が千葉大学医学部附属病院に入院していた昭和四八年一月二六日から同五〇年三月三一日の間において、なるほど原告は介助で入院し、車椅子を使用し、歩行訓練をしていたようであるが、他方昭和四八年四月以降一年近くの間独歩で散歩したり、時には卓球をしたりもしており、またこの入院中常時テレビはもちろん花札、将棋を楽しみ麻雀に熱中したりしており、さらに読書をして交通事故に関する本を読んだりしているのである。そして妻や他人と話し込んだりする時には症状を訴えることがなかったり常に月に四日から一〇日位外泊していたのであるが、退院が近い頃になって強く腰背部痛、頭痛を訴え、且つ再び歩行障害が生じていること、また《証拠省略》によれば、原告は本件事故直後の昭和四五年八月頃と右千葉大学医学部附属病院入院中の昭和四八年八月一六日に自動車運転免許を更新したことがそれぞれ認められるのである。

なお原告は、右運転免許の更新について、更新時運転はもちろん警察署にも出頭できない状態であったが、将来のことを考え、絶対自動車に乗らないことを条件に担当警察官に頼み込んで警察署に出頭することなく形だけの更新をしたものであると主張し、且つ証人川俣英男も同旨の供述をする。しかしかかる証人川俣英男の供述が措信できないことは、市川警察署に対する調査嘱託の結果からも明らかであるが、のみならず原告が警察署に現実に出頭して検査を受けたことを窺わせる次のごとき事実が存する。

すなわち昭和四七年四月二四日の原告本人尋問(第一回)において原告は更新時の検査において係官から難聴であることを指摘された旨供述しており、また《証拠省略》によれば、東京労災病院の担当医師に原告は同旨のことを述べているのである。原告はこの頃から意識障害があったのでその供述はそのまま採用できない旨主張するようであるが、その後の千葉大学医学部附属病院入院当時にあって原告が、麻雀に熱中し、且つ交通事故に関する本を読める程度の正常な精神能力を有していたことは前認定のとおりであって、かかる主張は採用できない。

また昭和四八年八月の更新についても、前記のとおり当時原告は千葉大学医学部附属病院に入院中であったがその頃には独歩も可能だったのであり、そして《証拠省略》によれば更新の四ヶ月位前から原告は更新のことを気にしており、更新手続がなされたと認められる八月一〇日から同月一八日まで外泊していることが認められ、これら事実並びに更新手続の厳格性を勘案すると、原告が市川警察署に出頭して検査を受けて更新を受けたと推認されるところである。

六  前記のとおり原告は事故直後から七年余の長期間にわたって不自由な入院生活を続けているのであり、そしてその間現実に車椅子等を使用しているのであるから、原告に何らかの障害があることは疑い得ないところで、詐病とは考え難い。

しかしながらその間一貫して徐々にその症状が悪化していったとの原告の主張、供述は、右のとおり二回にわたって適性検査において自動車運転に支障がないとの判断を受けて免許の更新を受けていることや千葉大学医学部附属病院入院中の前記原告の入院態度に鑑みていささか誇張されている点があると判断せざるを得ず、そして仮に幾分かの症状の悪化があったとしても原告の年齢(大正一三年八月二四日生)等に鑑み加齢によるものと認められる。

先に述べたごとく原告の症状は詐病であるとは考え難く、何らかの障害が存することは疑いのないところであるが、右のごとき事情を勘案すると、原告の症状が障害等級二級に該当し、そのすべてが本件事故による後遺状態であるとの前記鑑定嘱託の結果はそのまま採用することはできない。

原告の治療経過及び右のごとき症状及びそれが本件事故を契機とする心因によるものであること等諸般の事情を考慮すると、本件事故によって原告が受けた傷害及びその後遺症として被告が賠償責任を負うのは、原告の症状に鑑み相当とされる治療費等及びリハビリテーションを終えた頃である昭和四七年末まで稼働できなかったことによる損害、その後については、原告に精神に障害が残り、服することができる労務が相当な程度に制限されるということに準じる程度で後遺障害が残ったことによる損害の限度とみるのが相当と判断せざるを得ない。

七  そこで右判断を前提として原告において被告に賠償請求できる損害額を算出すると次のとおりとなる。

(一)  移送費通院費関係 八二万二、二六〇円

《証拠省略》によれば、原告は、昭和四七年末までの間奥鹿教湯温泉病院への入院、石和リハビリテーション病院、東京労災病院への転医、国府台病院への通院等にタクシーを利用したが、その代金が三二万二、二八〇円であったこと及びその後千葉大学医学部附属病院に入院中再三自宅に戻ったが、その際やはりタクシーを利用したところ、その代金総計は二八五万九、九五〇円に及んだこと、がそれぞれ認められる。

右のうち移送費、通院費については本件事故による損害とみるのを相当とするが、入院中自宅に戻った際に利用したタクシー代については原告の前記症状あるいはその回数等に鑑みその全額が本件事故による損害とは到底認め難く、諸般の事情に鑑みその六分の一程度に相当する五〇万円の限度で本件事故による損害とみるのを相当とする。

そうすると移送費等関係の損害額は右金額となる。

(二)  入院雑費 五五万八、〇〇〇円

原告の入院期間等に鑑み、入院雑費のうち右金額程度については本件事故によって生じた損害と認めうる。

(三)  休業損害、逸失利益等 七六二万七、四九一円

(1)  《証拠省略》によれば、原告は事故当時その主張する五万〇、〇三一円程度の収入を得ていたことが認められる。

前記のとおり原告は本件事故による傷害のため事故後昭和四七年末まで稼働できなかったとみて相当であり、その後も本件事故による負傷の後遺障害とみて相当な障害のためその労働能力を喪い、これらに相応する減収があったと推認される。その後の賃金の上昇等を考慮すると昭和五〇年七月一一日までのそのための損害は、原告において労災補償として填補を受けなかった休業損害として請求している一三〇万〇、七八〇円を下回らないと認められる。

(2)  前記本件事故によって生じたとみて相当な原告の後遺障害の程度及び原告の年齢からすると、昭和五〇年七月一二日以降の原告の逸失利益は、昭和五〇年男子労働者の平均賃金たる二三七万〇、八〇〇円の三〇%を一六年間にわたって喪失するとみて、これをライプニッツ方式によって現価に引直した(係数一〇・八三七七)、七七〇万八、二〇五円をもって相当とする。

(3)  右合計は九〇〇万八、九八五円となるところ、このうち一三八万一、四九四円については労災保険から填補を受けたことを自認しているので、これを差引くと七六二万七、四九一円となる。

(四)  慰藉料 二五〇万円

本件事故の態様、原告の負傷の程度、入・通院の期間、治療状況、及び後遺症の態様等諸般の事情を斟酌すると慰藉料としては右金額をもって相当とする。

(五)  弁護士費用 八〇万円

本件訴訟の内容、審理の経過、認容額等に鑑み、弁護士費用のうち本件事故による損害と認められるのは右金額をもって相当とする。

(六)  総計 一、二三〇万七、七五一円

八  以上の次第で原告の本訴請求は、被告に対して一、二三〇万七、七五一円及びこれに対する本件事故後である昭和四五年八月二日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるのでこの限度でこれを認容し、その余の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 岡部崇明)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例